最初に謝っておきますが、今日はとっても暗いお話です。
普段から泣き虫なのであまり意味はないと思いますが、涙が止まりません。
えぇと。
悲しい知らせ
いつも一緒に仕事をしている人の親友の奥さんが脳卒中で数日前に倒れたのですが、先ほど亡くなったという知らせがありました。
まだ40代。若いのに本当に残念です。
私は直接、知らないのですが、数日前はそのことでミーティングが中止になり、普段から話によく出てくる人だったので、みんながとっても心配していたんです。
倒れて以来意識不明で救急病棟で手当てを受けていましたが、彼女とご家族のためにずっと祈っていました。
が、私たちの思いは届かず、旅立ってしまいました。
信じられません。
涙の本当のワケは何?
ただ、どうしてこんなに泣けてくるのだろう?
と不思議です。
悲しいニュースなので当然と言えば当然なのですが、ここまで動揺するのは自分でもやや情緒不安定なのではないか?と思えてきます。
この不安でたまらなく悲しくてしょうがないという気持ちは、8年前、母の病気(癌)のことを知らされた時と同じような感覚だなと思いました。
(どうぞご心配なく。
大丈夫ですから。
ただもう少しこの辺を自分で掘り下げてみました。)
あの時は、母がこの世からいなくなってしまうかも、という恐怖と、それなのに、日本に帰って母の側にいてあげられない、という悔しくて悲しい気持ちが入り乱れて自分でもどうしたらいいかわからない、という状態でした。
そして、アメリカで幸せにしているのならともかく、夢破れみんなに迷惑をかけた結果がこれですか?という感じの生活をしていたんです。
ちょうどシングルマザーとして暮らし始めた頃ですね。
目が覚めては、涙を流し、何をするにも泣けてきて、後から言われたのですがオフィスでは「アナタはいつも泣きながら歩いている」と噂が立ったほどでした。
日本に帰れない理由
当時離婚が成立したばかりの元夫の要望で東北大震災後、放射能の影響が怖い日本へは子どもたちを連れて帰らないで欲しい、ということも言われていました。
離婚は成立しましたが、まだ細かいことで和解していなかったために、下手に心配をかけたくない(=干渉されたくない)からと、離婚のこともまだ内緒にしていた兄からは
「お前は自分の意思でアメリカへ行き、アメリカ人と結婚し、アメリカ人として3人の子どもを育てている。だから、お袋のことは今はオレに任せてお前は自分の役目を全うしろ」
と言われました。
あの時は、随分と古臭い日本男子の考え方だな、と思ったのですが
「仕事のことなんて考えなくてもいいから、お母さんの側にいてあげて」
と言ってくれたアメリカ人のボスや同僚たちの言葉とは裏腹に、私はずっとアメリカに留まったのですね。
結局、海外生活者というのは、日本を出ると決めた時に、自分でも気が付かないうちに既に覚悟を決めている部分があるのだなと思いました。
そういう意味では兄の言葉は正しかったのかなと思います。
私はその自分の覚悟にまだ気がついていなかったのか、随分と葛藤があったのですけどね。
今でも、そうです。
海外生活者のコロナ禍
先月、アメリカ在住の日本人の友人のお父様がかつてから患っていた持病でお亡くなりになり、お葬式にも行けずにひたすら遠方から母を支えています、という話を聞きました。
男性だからかもしれませんが、彼は悲しみの中にも迷わない強い芯が通っていて、
「今の時期だから、覚悟はしてたししょうがない」
と言っていました。
私にそんなことが言えるかなと考えますが、絶対にそこまで割り切れない、と思います。
父が亡くなったのも、突然死だったし、私は既にアメリカにいたので、当時のことを思い出しても、複雑な想いです。
そういう彼の死を乗り越えるのに10年かかりました。
今の日常では、コロナのせいで人間とは簡単に命を落としてしまうこともある、と言うことを世界中の人々が学んでいますよね。
勿論、普段はそれでも明るくポジティブな気持ちで生活しないといけないと知っていますが、私もきっと必要以上に周りの人に愚痴を言ったり家族を責め立てたりしてしまっていたのかもしれません。
色々と思うことがありました。
直接知らない人の死去がこんなに悲しいのは、どこかで自分のこととして妄想しているからでしょう。
今まで過去に起こった悪いことなどは、将来はそうならないで欲しいという希望として心に留めているだけで、そうなるという暗示ではない、ということをよく自分にも言い聞かせないといけないのだと思いました。
そういうトラウマのようなものが私にも実はあって、確認という口実で、周りに口煩くなってしまっているのかもしれないな、とも思います。
私は死なないし、大切な人もどこにも行かない。
そして必ずまたいつか、逢いたい時に逢いたい人に絶対逢える時がやってくる、と信じて生きていこうと思いました。
あまりそんな風には思いたくないですが、私は今まで、逢いたい人とあまり逢えない人生をずっと繰り返しているような気がしてしまう時があるのです。
ちょっと大袈裟ですけどね。
コロナで海外旅行が容易でなくなってきた現在は、きっとこの大げさ加減が「異国で生活すること」だということなのでしょう。
アメリカ生活28年で、それにやっと気がついたような気がします。