アメリカ東海岸では、まだ10日の夜なのですが、ニュースを読んでいたら、ちらほら19年前の9月11日の追悼関連の記事が出てきました。
あぁ、そうかあ。
コロナだのなんだのってあったけれど、決して忘れていたわけではありません。
それどころか、19年たった今でもはっきりと覚えています。
あの日の、晴天の霹靂という感じのとっても気持ちの良い朝だったこと。
そして、いつものようにテレビを付けたら、いきなりワールドトレードセンターの映像が出てきて、びっくりしたこと。
同時多発テロが起こった日に書いた原稿
震災やテロが起こると、悲しいことや辛いことは忘れたい反面、絶対に忘れてしまってはいけないと思います。
だから私は毎年この日は、いつも家族で思い出して話をしています。
あの時、マミーは次男がお腹にいて絶対安静でベッドで生活していた
とか
風向きが違ったら有毒な風が私たちが住んでいたところに直撃だった
とか
今はコロナでフェイスマスクだけれど、当時はマジでガスマスクを着けて普通にソーホーとかを歩いている人もいた
とかね。
もう19年も前になるのですね。
その数ヶ月後に生まれた次男ももう19歳になるわけです。
早いですね。
日本のニュースの中に「あの日にニューヨーク在住の人たちは何を感じたのだろうう」というタイトルの記事が出ていました。
そして、数人のニューヨーカーが思ったことを思い返して語っていました。
私は、当時ニューヨークのクィーンズのフォレストヒルズガーデンズというところに住んでいて、デザインの仕事をしながら、日系新聞にコラムを書いたりしていました。
ちょうど原稿を上げてほっとしていた時に起こった惨事だったので、信じられない光景を目にしながら記事を書き換えたのですね。
動揺してしまってうまく打てなかったこと、よく覚えています。
今日はその時に書いた原稿を転送します。
それがニューヨークにいた私があの日に感じたことなので、気持ちをシェアできたらいいなと思いました。
2001年9月11日
9月11日。昨夜の雷を奪う嵐から一夜明けて、今朝は快晴だった。そして、それから数時間と経たないうちに、ニューヨークから超高層のワールドトレードセンタービルディングが、姿を消した。2棟とも相次いで、粉々に崩れ落ちて行ったのだ。
今回の原稿は、締め切りより随分早めに送ってあったので、ニューヨーク市、いや、アメリカ全体が緊急事態に陥っている今現在、それを読み返すと、こんな非常時になんとも能天気なことを書いていると苦笑してしまった。だから、今回の話を皆さんに読んでいただく前に、やはりこの惨事な出来事について少し触れる必要があると思い、またコンピューターに向かっている。キーボードを打つこの手も、まだ震えが止まらない。
午前9時のブレイキングニュースで、航空機がワールドトレードセンタービルディングに激突し、爆発炎上したと聞いて以来、お腹の赤ちゃんを気遣いながらも私はずっと自宅のTVでその模様に見入っていた。それから数分後、2機目がまた隣のビルでイングに突っ込んでいき、ビルディングの上部が爆発、倒壊した。
ブッシュ大統領はその後すぐに
「これは明らかにテロリストによる仕業であり、アメリカはいかなる理由でもそのような行為は許さない」
と静かな口調ではあるが、怒り位に満ちた声明を発表した。
こんなことは許されるのだろうか。誰が一体こんなことをするのだ。最悪の事態だ。
そう思いながらTVの前に釘付けになっていたら
「今日のこの惨事は、パールバーバーに次ぐ、アメリカ史上第2の国家的悲劇です」
とニュースキャスターが言っていた。私の胸はきゅーんと痛んだ。
私の友人は、目の前でビルディングが崩れ落ちていくのを目撃したと言う。仕事先の人たち、そして、友人数名が、巻き込まれている可能性がある。涙が出てくる。どうか全員が無事でありますようにと祈るしかない。
ニューヨークの光景からワールドトレードセンタービルディングが、なくなってしまったのだ。それと共に大勢の人間の命が粉々になって空に散ってった。地上では、人々の悲鳴が響き渡っている。
悲しみと共に怒りが込み上げる。絶対にこのような惨事を許すわけにはいかないのだ。
多くの犠牲者、またその家族の為に、黙祷を捧げる。
そして今
随分と後になってからですが、ある人がこう言っていました。
「震災やテロとか、悲しいし大変なのは事実だけど、前に進むためにも必要以上にあまり過敏に思い出してはいけない。年月が経つと、ある程度は忘れてもいい」
と。
理由としては、思い出している人の人生がやたらとドラマチックになってしまうからだそうです。
そして、そういう「個人的」な思いが強ければ強いほど、「アナタにはわからないでしょう」と人を遠ざけてしまうからなのだと、その人は言っていました。
確かにそういうことってありますよね。
その言葉に、なんだか妙に納得してしまいました。
人は不幸なことを経験すると「自分だけ」と思いがちですが、蓋を開けるとみんな同じようなことを経験しているんですよね。
勿論、だから大丈夫と言うことではないのですが、きっとその人が言いたかったことは、物事は「客観的に見る」必要があるということと、人生はなんでも人と共感できて価値があるものになる、ということなのではないかなと思いました。
だから...
必要以上に感傷的にならずに、あの時私がニューヨークで感じたリアルな事実をお伝えしたいと思いました。
今は、違う苦しみが全世界に広がっていますが、平和で幸せな日が再び訪れること、心から祈っています。