- コロナで潔癖症が増えた世の中
- 日常でどのぐらい潔癖になるべきか?
- 大人になる成長過程で経験した辛いこと
- 誰もが多少なりにも持っているこだわり
- 人にレッテルを貼る?パーソナリティー障害
- 潔癖と言えば思い出す、昔見たこの映画
- その他潔癖症やOCDを題材とした映画
- コロナ後のニューノーマル(新しい日常)
- エルジャポンに出ていた記事
- まとめ
コロナで潔癖症が増えた世の中
コロナウィルス感染予防により周りでもかなーり潔癖になっている人が増えたと思います。
皆さんは、どのぐらい潔癖にしてますか?
今、アメリカでも「3W(Wash hands/Wear masks/Wait 6 feet)」とかって言われるようになって、コロナ感染を防ぐには手を洗うことがもっとも大切です、みたいになっています。今まで手を洗うということ、ほぼ皆無だったんですけどね。
実は個人的にはそういうのって、すっごい苦手です。やっていますよ、そりゃあ。やっぱりコロナにはなりたくないし。
外から帰って来る時は、まあわかりますが、何かを触るたびに手を石鹸で少なくとも20秒間洗ったり、手を洗わなくて済むようにドアノブとかはなるべく触らないようにしたりしている人もいるみたいですが、そういうのってやっぱりおかしいって思ってしまいます。
トランプ大統領はあまり好きじゃないのですが、彼が頻繁に手を洗わなければいけなくなった新しい日常について、
「10分おきに手を洗う?なんじゃそれは?と思うけれどね」
っと言っていましたが、ほんと全く私も同感です!
手洗いといえば、この映画を思い出します。
「アビエイター」
潔癖症の母親の影響もあり、青年時代から伝染病、不潔なものへの嫌悪感の強かったヒューズの強迫神経症はここにきて顕著となる。
自分を拒絶した女の触れた洋服全ての焼却、常に石鹸を持ち歩き病的なまでに手を洗浄する、同じ言葉を執拗に繰り返す等、一般人には理解不可能と思える行動を繰り返す。
ついには衣服を着ることも水に触れることも出来ず部屋に閉じこもり、顔も洗わず髭もそらず全裸のまま暮らし、排泄は部屋の中で牛乳瓶に、何かに触れるときにはティッシュペーパー越しにでなければ触れられない、ドアすら開けられなくなり他人との接触を恐怖と感じる等、ヒューズの強迫神経症は深刻化する。
これは15年ぐらい前の映画なので、覚えている人も多いかもしれません。レオナルド・デカプリオが、潔癖症・OCDの役をしていてまた名演技をしていましたよね。
これは実話でもあるそうですが、明らかに潔癖症のお母さんの影響が大だったと言えると思いました。
お母さんから「quarantine(隔離)」という言葉のスペルを教わり、子どもの頃に
「あなたは安全じゃないの」
と言われ続けます。
コロナ禍の現在、毎日のように囁かれている「quarantine(隔離)」という言葉はこの映画でもキーワードみたいになっています。
監督はマーティン・スコセッシですが、もしかしてコロナを予言していたような感じもしないでもないです。
潔癖症や強迫性障害に焦点を当てて解説されている記事はこちらでどうぞ。
日常でどのぐらい潔癖になるべきか?
どこかのドクターが買い物から帰ってきた時に商品の消毒の仕方についてYouTubeの動画で言っていたことがアメリカでは話題になって、いろいろなところからリンクが届いた時がありました。
勿論、みんながみんな潔癖症みたいな人たちではないけれど、アメリカ人って、やる時は徹底的にやる人たちなんですよ。極端というか。
私の周りでは結構神経質と思えるほど消毒や殺菌に命をかけている人も多く、私が
「そんなことまでやってない」
と言うとびっくりされて
「やったほうがいいよ!」
と言われました。
そして、今では、そういうことが「当たり前」のようになってきて、私たちも食料品を買ってきたら、毎回毎回消毒液でスプレーして拭くようになりました。
買い物をするのは次男の役目ですが、帰ってきてそれをスプレーして片付けるのは、私の役目なんですよ。
それだけでもう30分は軽く時間を費やしています。
ちょー面倒くさい!そんな時間はないよっ!
と今までの私は心の中で叫んでいるわけです。
これがそのYouTubeです。
ピザとかのデリバリーが来たり、小包が届いたりした時は、こんな感じ。
手だって荒れちゃうじゃん!なんて思ったりします。手が荒れないようにクリームとか塗っているので、洗うとせっかくぬったクリームだって取れちゃうし。
もう悪循環です。
ちなみにこちらがWHO(世界保健機関)から出ている正しい手の洗い方です。
日本では手を洗っている時に水を出しっぱなしにしている動画があって、それが批判されていたらしいですが、この動画によると水道の蛇口は出した時と終わった後に2回触るだけにした方がいいので、20秒間は出しっぱなしにして最後に手をペーパータオルで吹いたついでに蛇口を閉める方がいい、ということでした。
なるほど!
大人になる成長過程で経験した辛いこと
ここまで読んでたら、私って結構ズボラな性格だと思う人もいるかもしれませんが、実は、昔はすっごい綺麗好きでお掃除が大好きだったんですよ。
聞こえは悪くないですよね。でも、それが私の命取りとなった時期がありました。
グラフィックデザイナーという職業柄もあって、細かいことに拘るのがかっこいいと思っていた時です。若かったし、とんがってました。
アシスタントをしていた時期はオフィスを美しく保つ(=掃除をする)のが私のメインの仕事でした。ついていた先生に言われたままに、いつもモノは定位置に置き埃もゴミもなく、かっこいいデザインオフィスの管理をするのが私の役目、と思っていたんですね。
仕事ですからそれはそれで一生懸命やっていたわけで良かったのですが、気がついたらだんだんそれが私生活にまで及び性格的にも「完璧主義者」みたいな感じになってしまいました。
ある時、それでは職場以外の他の場所で人と関わる場合はうまくいかなくなってしまうな、ということに気がつきました。
それで、何をしたかと言うと、その時点で自分の中にあったこだわりを一切捨てたんです。
人生どうでもいい、というと一種の諦めのように聞こえますが、私の決断は結構前向きなもので、日常生活においてこうでないといけない、という自分の中の考えを全て手放したわけです。
誰かのアシスタントを辞めて職場も変わり、お掃除をする必要もそれほどなくなりました。それも幸いでしたが、おかげさまで、その後はアシスタント時代(最初に結婚していた時)のように「見た目の清潔を保つ」ことへのこだわりも薄れ、日常生活も極めて心地よく過ごせるようになりました。
後になって知りましたが、私が自分で思いついてやっていたことは、強迫性障害における「認知療法」とか「暴露反応妨害法」などと言って、立派な精神疾患の治療法にもなっているのだそうです。
すごっ。
インターネットなどもない時代ですから、情報なんて皆無でしたけど、とにかく直さなきゃ!と思って自然に取り組んでいたことですが、とてもうまく行きました。
曝露=これまで恐れたり避けたりしていた状況に、あえて向き合うこと。そして、恐れていたような悪いことは起きないと学習する。
例)不潔だと感じる床や土にあえて触る
反応妨害=これまで不安や不快感を消すために行ってきた強迫行為をできるだけしないこと。そして、不安や苦痛が次第に減っていくことを体験する。
例)曝露した直後から、強迫行為としての手洗いをできるだけ行わない。
小さなことが気になるあなたへより引用
ここのページは強迫性障害に対する治療法が詳しく書かれています。
そういう過去があるので、潔癖症の人や強迫性障害などで悩まされている人たちの気持ちは私も多少は理解できるのですね。多少、ですけど。
誰から言われることもなく、自分で決めて一人でなんとか克服できたので、私の場合は障害というほどのものではなかったのだと思います。ある意味、大人へと成長する過程において必要なプロセスだったのかな、ぐらいに感じています。
で、その後、アメリカに来てベッドにも靴をはいたまま座るような生活になりましたから、綺麗好きだとかなんだとか言っているのが
バカらしい
というレベルになってしまいました。
今でも一応は、一般的アメリカ人からは私は
「スーパークリーン」だと言うことで通ってますけれど。
誰もが多少なりにも持っているこだわり
コロナ以前も潔癖症などで、ある程度の生きずらさがあった人達はどうやって心地よい自分の居場所を見つけたらいいのか、などなど、アメリカでは結構オープンにガイドラインが多くの専門機関から発行されたり、サポートグループが立ち上がったりしていました。
日本ではまだまだ馴染みがないようですが、強迫性障害などのパーソナリティー障害は、アメリカではかなり認知されています。
英語で脅迫障害のことを「OCD(Obsessive-compulsive disorder)」と言いますが、変なこだわりや融通の効かないいこじな行動パターンを取ってる人がいたら
You have OCD.
とか
You are OCD.
などと平気で言ったりする場合も日常生活ではよくあります。
友人などに恋愛相談をしていたりしても、ちょっとおかしな行動を取るパートナーだったりすると
「彼(彼女)OCDじゃない?」
みたいに指摘されることも多いです(つまりそれで済まされます)。
むずかしいのは、ちょっと変わった人たちの行動がどこまでが「性格」から来るものでどこからが「精神疾患」であると判断するかだと思います。
「どのぐらい強迫観念を持ち合わせているか」のテストができるサイトもあります。アナタのOCD度を測ってくれます。
人にレッテルを貼る?パーソナリティー障害
アメリカでは、そのような精神疾患が比較的オープンに語られているのですが、同時にそれは枠からはみ出る人たちを直ぐ「病気」としてレッテルを貼る社会でもある、ということです。
「個性」を重んじる国だと言われていますが、そんなのは綺麗事の建前のように思えます。人種差別が禁止されてる割には人種差別がはびこっているのと同様に、アメリカの矛盾の一つだと私は思っています。
しかし、そうは言っても自分自身や家族が障害で苦しい時にはその問題を認識することはやはり必要で、治療はそこから始まります。
うちの子どもたちが小さい頃、お友達の子どもがうちに遊びに来た時などにおかしいと思うほど手を洗う子どもがいました。
話を聞くとその子はOCDだったそうで、更には付随する睡眠障害(夢遊病)を患っており、お泊まり会などは禁止で、数回一緒に旅行へ行ったことがありましたが、かなり大きくなるまでお母さんと子どもは同じ部屋で寝て監視していないといけない、という感じでした。
子どもが寝た後は、大人は大人の部屋でみんなで飲もうよ、みたいになったのですが、その時も彼女は参加しませんでした。
「目を離すといなくなる可能性があるので同じ部屋にいないといけないの」
と言っていましたが、近くにいる人たちからのサポートがあるかないかでその子の人生も大きく変わってくるのだな、とその時も思いました。
大人になってからは、個人個人がそういう障害を持つ自分としっかりと向き合い、自分の「癖」によって周りで困難な状態が起こってないかどうかを確認することも大切になってくる、ということも話していました。
薬を飲んでいたようですが、その薬も世間(特に健常者の間)では賛否両論で「個性を押さえつける麻薬のようなもの」という意見もあるようですが、当事者や近くで世話をする家族は「薬で相当助かっているのでやはり必要なもの」だというのが多くの意見だと把握しています。
本人が大変なのは当たり前ですが、周りにいる人たちとの関係が悪くなったりまたは、恋愛関係が前に進まなかったりと、人間関係に支障をもたらす場合も多くあるようで、友人は母親として、
「これからも本当に心配!」
と言っていました。
いろいろな障害がカテゴライズされているのですが、参考までにパーソナリティ障害に書かれたページも、下にリンクを貼っておきます。
潔癖と言えば思い出す、昔見たこの映画
丁度、私がこだわりを捨てた頃、このジュリア・ロバーツ主演の映画を見たので、かなり複雑な想いになりました。
当時の私のこだわりは表面的に見えるところのみで、例えばですが普段は見えない棚の中とかは結構ぐちゃぐちゃでも平気でした。
でも、この映画の夫のようにタオルの柄などは揃えたりしていましたねー💦
怖っ!
このシーンでは、タオルのストライプを夫に言われるまで揃えることができないジュリア・ロバーツに、潔癖症の夫は、妻を注意してタオルを正しい位置に直させます。
そして
「だから君は、僕がいないと生きていけないんだよ」
と言うんですよ。
また、言い方もありますね。明るく笑顔で言うのであれば、問題も半減しますが、この映画の中の夫は、まるでサイコパスですよねー。
サイコパスとなると、またこれが怖いです。関わると面倒なサイコパスの部分は、彼らはすっごい表面的には魅力的で話が上手いというところだと思います。だから、相手の言い分に丸め込まれる場合があるんですよね。
ちょっと話がずれましたね。
映画の話に戻ると、実生活ではこういう一方のこだわりや個人個人の性格から来るライフスタイルの違いはよくある話で、完璧に相性が合うカップルなど存在しません。
愛があればこのようなことがあっても問題にならないと思うのですが、DVも受けていた彼女は途中から彼との生活から逃げることを計画し、それを実行するわけです。
その他潔癖症やOCDを題材とした映画
「恋愛小説家」
こちらのブログにOCDよりのもう少し詳しい解説が載っています。
「幸せのページ」
http://ocd-net.jp/column/c_180.html#a
「名探偵モンク」
コロナ後のニューノーマル(新しい日常)
コロナパンデミックでは「清潔を保つ」という衛生面での潔癖を求められているわけで、これからの私たちの生活の中(特にアメリカ)では、今までとは違う日頃の習慣を強いられることは間違いありません。
その時に、過度に潔癖にならないようにすることが大切であり、その部分のバランスを取れなくなってしまう人たちが増えてしまうのではないか、ということが懸念されます。
勿論、コロナ感染を防ぎ命を守ると言う目的に大してそれを上回るぐらいの大切なものはないことぐらいは承知していますが、度が過ぎるということはやはり人間を苦しめることになりますし、そこから健康を害する場合だってあるわけです。
精神がやられてしまえば、第2次被害として私たちは苦しむことになりますから、自分を守るためだと思ってしていることが、裏目に出てしまうことになり、結局何のためにしているのか?ということになりかねません。
何かを触る度に手を洗わなければいけないこと。
ドアノブなども気軽に触れなくなること。
人に触れられないこと。
ジムで汗をかくこともできないこと。
普通に人に会って向き合って食事ができないこと。
など、今までは普通だとされていたことがいきなり好ましくないことになり、その代わりに新しくできる「規則」が、今後私たちのニューノーマル(新しい日常)となっていくのです。
そういうことに私たち人間がどのぐらい耐えられるのでしょうか?
それと同時に、今、強迫性障害の治療をしている人たちにとっては、治療とは相反することをコロナ対策で強いられるわけですから(再び手を頻繁に洗わなくてはいけないなど)、やはり混乱が生じ、大変だと思います。
エルジャポンに出ていた記事
こちらの記事にはコロナの時期に、強迫性障害や不安障害とどうやって向き合うかが書かれています。リンクを貼っておきますね。
私が特に大きく頷いたのは以下の部分です。(上記リンクサイトより引用)
「最悪のケースのシナリオばかりに気を取られても、今この瞬間を楽しむことが妨げられるだけです」とグルネー氏。「コロナウイルスで死に至る人の人口あたりの割合は小さく、エボラやスペイン風邪とは違います。」
「今のところ、6600万人のイギリス国民のうち、コロナウイルスに感染していることが確認されたのは460例(※3月18日12:00現在1950例)だけです。それはすなわち、現在ではあなたが感染する確率は極めて低いということです。そして、仮に感染した場合も、大半の患者が回復し、多くは軽い症状を経験するだけです」
「自分の考えと対峙して、その周りにあるエビデンスを探しましょう」と彼女。「例えば、あなたがコロナウイルスに感染するであろうというエビデンスはどこにあるのか? エビデンスを伴ったより健全な思考で捉え直すのです。『私の免疫系は強いし、それを強く保つために出来ることがある』といった具合に」
「自分の考えをより良く知れば知るほど、自分の病気不安症に力強く対処できるようになります」 「侵入思考をそのままにしていると、自分が人生において気にかけて、やりたいと思っていることが強迫性障害によって何もできなくなります。顕著な例としては友人や恋人との関係を構築することができなくなります」
まとめ
私も若い頃、神経質で綺麗好きでした。でもそれは敢えて嫌だという状況に自分を置くことで克服しました。
アメリカでは強迫性障害などのパーソナリティー障害は一般的に認知されていて、それを題材とした映画やテレビドラマもたくさん出ています。治療も進んでいますし、完治も可能だと統計的には出ているようです。
コロナウィルスで手を洗う習慣が義務付けられた今は潔癖症が増えるのではないか、と懸念されると同時に、強迫性障害の治療には相反するものがあり当事者にとっては、混乱を招くことになりかねない可能性もあるのではないかということ。
日本でも様々なサポートグループは存在するようです。助けを求めることは決して恥ずかしいことではないと思います。
健常者でもコロナ社会では不安も多く大変です。不安症・潔癖症・強迫性障害などと戦う人たちは、理解を求めサポートしてもらうことが大切だと思います。
強迫性障害についてのサイト
以下のサイトにも新型コロナウィルス感染が恐れられている社会においての強迫性障害の人に対するガイドラインのようなものが出ていました。
OCD-Japan
http://ocdjapan.kenkyuukai.jp/special/?id=22164