アメリカで離婚をする外国人の女性たち
日本人の友人の中には、しばらくアメリカで暮らしていたけれども、アメリカ人の夫と離婚したために子どもを連れて一人で日本に帰ってきて、親と同居して一緒に暮らしている、という人たちが数名います。
もうかなり前の話になりますが。子どもたちも立派に成長していて。
やっぱり大変ですもんねー。アメリカ人の夫と結婚していて彼の助けがあるからこそアメリカに住んで子育てもできるのでしょうが、離婚してしまったら、一人でアメリカに残り頑張れるのかどうか、不安だ、という女性が多いと思います。
私の場合、離婚した時は、子どもたちはすでに自分の意見を持つほどに成長しており(ボーイズは小学校3年生と1年生で娘は幼稚園生ぐらいでした)、日本に帰ることは本人たちが嫌がるだろうと私が思ったこと(実際に子どもには確認するまでもなかったです)、子どもたちの日本語のレベルが同年代の日本人と比べると全然劣ることから、学校にも入れないと思いました。
そして、うちの実家にお世話になる、ということも考えられなかったし、私の仕事はアメリカでしている方がいいと思ったので、アメリカに残る決心をしたのですね。
というか、日本に帰るという選択肢は最初から私にはありませんでした。
しかも、私が2度目の離婚をすることになった時は、ちょうど「ハーグ条約」というものに日本が加盟をした時期でした。
外国籍でアメリカで離婚した女性が子どもを自国に連れて帰る、ということが大変難しくなる、というような話はいろいろなところから聞くようになり、同じ時期に離婚をした友人は、それでも子どもを国外へ連れ出したらそれだけで下手をしたら「国際誘拐犯」となって「国際指名手配」される可能性もあるから、日本には当分帰れない、などと嘆いていました。
えぇ?
それって、日本に帰りたいと思っている母親たちにとってはとても不利で大変なことですよね。
仕事もなくて、経済的サポートもなくて、しかも子育てはしなくてはいけないだなんて、辛すぎませんか?
私も離婚経験者たちから「気をつけてね」と言われていたのですが、要するに、ハーグ条約があるので、相手が同意していないのに子どもを連れて勝手に日本に帰ってくることは一時帰国だとしても法的に罰せられることになった、ということ。
は?
なんでそんな風に弱い女性の立場に逆風になるようなことが先進国の間で取り決められるのだろう?
なんて非常に不思議でした。
ハーグ条約とは
ハーグ条約を知ろう!1
ハーグ条約を知ろう!2
ハーグ条約を知ろう!3
ハーグ条約を知ろう!4
ハーグ条約を知ろう!5
ハーグ条約を知ろう!6
それで、それってどういうこと?と最初は思いましたが、上の動画を見たら、なるほど納得しますよね。
私はアメリカにいる離婚女性で日本に帰りたいと思っている人のことだけを考えていましたが、どうもそれだけではないいろいろな事情が他では起こっている、ということみたいですね。
しかも、この「日本に帰りたい」というのはあくまでも母親の気持ちであり、子どもにとってはどうなのか?ということはわかりませんから。
アメリカやその他の欧米の先進国の離婚は子どもがいる場合はまずは子どもの有益になることを一番優先させてコトが進められるんです。
動画にもあるように、ハーグ条約は片方の親が同意してないことをしたときにサポートしてくれるだけでなく、子どもに安心を与えて守るというのが一番の目的みたいです。
日本は先進国でありながら、最後の最後までハーグ条約には加入していなかったということで、以前から批判の対象となっていたようです。
日本は、離婚は親の事情であり親の都合でどんどん子どもの人生が決められてしまうことも多いですよね。そういうことを避けるために、ハーグ条約ができたのだと思います。
ハーグ条約によって変わること
日本がハーグ条約に加入したのは2011年あたりだと思います。そうなると、今までは離婚が原因で日本に子どもを気軽に連れて帰っていた日本人妻たちもこれからはそういうことができなくなる、ということ。
それはとても辛いことかもしれませんが、子どもの親として二人でしっかりと話し合いをする必要があります。
それで、同意書を書いて貰えばいいことなんですね。その時の夫婦間の関係によりあっさり書いてもらえる場合もあるし、そうでなく条件を色々と出してくる場合もあります。
二人で話し合いができない場合は、弁護士を入れる、という形になりますが、経験者としてはこれはできるだけ避けた方がいいと思いますよ。お金だけが飛んでいきますから。
私も別居したての頃は、泥沼で子どものパスポートを差し押さえられたりしました。子どもたちは二重国籍だったので、アメリカと日本の2つのパスポートを持っています。
アメリカのパスポートを差し押さえたのであれば、日本のパスポートで帰ろう!日本のパスポートがあることまでは、相手も考えついてないな、と思ったわけで、だったら夏休みに今まで通り一時帰国できるもんね〜、と思ったのですが、しっかりと日本の領事館へも手を打たれていました。
領事館から、アメリカ国外へ子どもを連れて行くことの危険性についての注意警告が送られて来た時には、メラメラと多大な怒りがこみ上げてきました。
ここからですね。
私が元夫の宣戦布告を受けて立とうと覚悟を決めたのは。