いつまでも乙女なママのいばら道からバラ色の人生に

アメリカ在住・バツ2・子ども3人・どん底から浮かび上がって現在婚約中・世界一幸せです

国際離婚の悲しいところ

ハーグ条約だろうがなんだろうが、私が悲しいなと思ったのは、私の思いや信念に反して相手側に即座に「法的対応」を取られた、ということに尽きると思います。

 

今まで一緒にいた約15年の年月はなんだったんだろう?

 

一度でも愛したと思った人なのに、話し合うことができないなんて。

(当然、相手も同じことを思っていたと思いますが)

 

これに関しては国際結婚に限らず、全ての離婚に言えることですね💔

 

私はその時すでにアメリカ在住が20年近くになっていて、アメリカが自分のいるべき場所だと思っていました。

 

子どもの父親はアメリカ生まれのアメリカ人だし、アメリカの文化を子どもたちにもできるだけ伝えてあげたい、と思いながら一生懸命子育てをしてきたつもりです。

 

もちろん、それと同時に自分の国である日本の文化を引き継ぐ努力をしたことは言うまでもありません。当然ですよね。彼らは日本人でもあるわけで。

 

父親も私と同じように日本の文化を敬い、同じように努力をしてくれたと思っています。私の母親とは子どもができてからほぼ同居のような形だったし、そういう意味では感謝なんですけどねー。

 

アメリカで生活を基盤としながら日本の学校にも通わせて、ベイビーシッターさんは日本人に限りお願いし、私もできるだけ日本語で子どもと接し、東京からは子どもたちの「グランマ」がしょっちゅう遊びに(手伝いに)来てくれていました。

 

日本は子どもたちの祖国でもあるわけですよ。

 

元夫は日本は大好きだし、二重国籍であることを利用して、アメリカ側が他国と戦争をしていた時など、徴兵制度が万が一復活した時のためにも日本のパスポートは常にキープしていた方がいい、と真面目に言ってました。

 

ちょっと彼は極端なところがあるんですね。

 

それなのに離婚するかもしれない、となった時に、しかも、私は日本へ帰るということはしない、と念を押して言っていたのにもかかわらず、その言葉を信用しないで、法的守りに入ったことは、私にとっては驚きであり、がっかりしたことでした。

 

さすが、ディフェンス強くて訴訟が好きなニューヨーカー。

 

ニューヨークという場所は、石を投げれば弁護士に当たる、というぐらい弁護士がたくさんいる場所だと言われているのを思い出したりして。

 

くそー。

そっちがその気なら、こっちも。

 

と目には目を、という私の復讐劇が始まったわけですね。

 

許せん... 🔥🔥🔥

 

しかし、この出来事は、後にも色々とこの国では「法律が全て」ということを学んだいい機会にもなったわけで、ある意味良かったかなと思っています。

 

それにみんなに言われましたが、アメリカ人にとって(しかも東海岸からは)日本は「Far East」の一部なんです。

 

つまり「極東」。

 

遠い東側に位置する日本は、彼らにしてみたら最も東方の未知なる場所なわけでそんなところに子どもを連れて行かれた折には、もうどうすることもできません。

 

少なくとも彼らはそう思っているはずで、関係がうまくいってない妻の言うことなんて、信じるわけないですよね。

 

実際にそのようなニュースは検索すると山ほど出てくるし、別れた妻を信じたワタシがバカでした、みたいに泣きながら異国にいる子どもたちに会いたいと訴える父親の姿も出てきたりします。

 

なんだかお気の毒ですね。

 

そういう意味では、元夫がしたことは「当然のことである」と友人知人全員に言われました。

 

ふーむ。

なるほどね。

そう言うこと?

 

でも勿論、頭では理解しても私は、例え日本に一時帰国したとしても、絶対にアメリカに戻ってくるのに。

 

バカじゃない?

なんて思ったりしていました。

 

そんなこんなで「自由を奪われた」私と子どもたちは、日本で震災が起きたこともあり、パスポートも更新できず、それからの5年近くは日本へ行くことはできなかったのですね。

 

敵の気持ちもわかるけど、そもそも「自由を奪われた」ということが一番腹立たしいことでした。

 

がんの治療をして回復には向かっているもの、病み上がりで高齢の母もいるし、彼女の身に何かあったらいつでもすぐ飛んでいく、ぐらいのつもりをしていた私としては、身動きが取れないように感じてとてももどかしかったです。

 

離婚しているご家庭でなくとも、海外にいると親が病気になったりしてもなかなかすぐには帰ることができません。

 

それはやはり海外に住む人たちの共通する悩み事でもあると思います。