- 私のイライラ
- 子育てに勝利はないというアメリカ人
- 私のイライラの本当の理由
- シングルマザーの悲しい叫び
- ハンディキャップがある私?
- ママは幸せになってはいけないの?
- 自己否定から出る方法
- 認識を変えること
- 長女と仲直り
私のイライラ
この間、落ち込んでいた理由をここ数日ずっと考えていました。
なんでこんなに落ち込むんだろう?
私が人生で落ち込む理由はほんと色々とあるのですが、今回の件をわかりやすく一言で言うと、自己嫌悪、ということになると思います。
家の中でも
I hate myself!
I hate my life!
などと叫んでおりました。
厄介ですねー、こういうのって。
またか。
と、子どもたちはシラーっとしていました。
でもなぜ、こんなに自己嫌悪に陥るのか?
と言うといろいろな分析が必要になってくるわけで。
ちょっと、
そこのシラーっと
他人事と思っている
子どもたち。
チミたちのセーよッ!
と更にイライラ度は増すばかり。
ほんと。
子育てに勝利はないというアメリカ人
多くの人が経験するとは思いますが、子育て中の親は結構毎日のように私のように落ち込む人たちも多いと思います。
こんなこと子どもに言わなきゃよかった
もっと優しくしてあげればよかった
あの時怒らなければよかった
ママ失格だわー
などなど。
数えきれないほどあります。
この間の私は、仕事が詰まっていた時に以前も話し合って「もうしない」と約束していたことなのに長女が約束を破ったので、私がブチ切れたことが発端でした。
マジで?
どうして?
なんで?
と基本的ルールが守れなかった長女に色々と責め立ててしまうのが親。
ティーンネイジャーだから。
やりたかったから。
大したことじゃないから。
などなど。
親と子どもの間ではバトルがギラギラ。
思春期の子どもを持つ先輩ママ友やパパ友からは
「子どもには勝てない」
と以前から何回も言われています。
これは決して甘やかす、という意味ではなくて、ですね。
アメリカの親も結構厳しいところは厳しいですし、威厳をしっかりと保てている家庭ももちろんあります。
それでも、やっぱり子育てしてると絶対に「勝つ」ことはないのだそうです。
でも大丈夫。
You may lose the battle but you will win the war.
だから。
とよく言われます。
これは
「目先の戦闘には負けることはあっても大きな戦争では勝つ」
という意味で、子育てとは、細かい日々の揉め事は気にしないで大きな目で見守っていたら絶対に大丈夫、ということみたいです。
なるほど。
局部的には相手に勝ったと思わせて、大局的な部分では勝利を得る、ということなんでしょうか。
だとしたら、私は親としてはまだまだ小さいな、と思うわけですね。
パワーゲームは辞めなさい、ということですね。
私のイライラの本当の理由
そういう子育て論は、十分に理解しているし、実践しようとはしていますが、それは所詮頭で考える部分ですよね。
私のイライラの本当の理由はそんなんじゃないんです。
もっとドロドロした部分。
子どもにも腹を立てていたことについても、冷静に考えるとそんなに大したことでもないのに、あんなに(ってどんなにって思うかもしれませんが)イライラしている自分がほとほと嫌にもなってしまう、ということ。
でもって、そういうことがわかっているくせに集中力が欠如し、
「全然したいことができないっ!」
子ども=敵
ってなってしまうんですよねー。
子どもは自分で欲しいから作ったくせに子どもがいることによる過去の「我慢」の数々を思い出してしまうわけ。
そして、挙げ句の果てには
「いつも子どもに邪魔される」
「こんな人生最悪」
などといきなり大きな展開になっていき、私の怒りはもうマックスになるんですね。
子宝に恵まれておいてそんなことを思ってしまうのは間違っている、ということも十分に承知しています。
それでも、そう思ってしまうのだから、自己嫌悪になるんです。
タチ悪いです。
シングルマザーの悲しい叫び
気がついたら長女に対する小さな落胆が、どこかでうまくコトが進まない私の人生そのものに対する大きな怒りになってしまいます。
(被害)妄想もいいところなんですが、実際には、やはり一人では手一杯だと何もかも投げ出して、逃亡してしまいそうになったこともたくさんあります。
巷のお母さんたちは、プチ家出みたいなのって、結構あるみたいですが、私の場合は子どもの父親(元夫)が本当に家出をして子どもたちを家に残して出て行ってしまった過去があるので、専門家の先生には
「冗談でも子どもを置いて家を出る、なんていうことは絶対にしてはいけません!」
と言われています。
お父さんに捨てられて、お母さんにも同じことをされると子どもは行き場がなくなる、ということでした。
彼らにはお母さんしかいないのよ。
と。
出ましたー。
その言葉っ!
わかってるってば!
でも私だって人間だもの。
やりきれなくなる時だってある。
もう絶対にイヤだって思う時だってあるわっ!
子どもがとっても愛おしいと思う反面、妙に悔しいと思ってしまうのですね。
そんな時は、どーっと涙が出てくるのです。
この気持ち、わかっていただけますでしょうか?
だからねー、プチ家出する、という選択は私には間違ってもないんですねー。
くそーっ!
いつかやってみたいっ!
プチ家出。
子育てって、シングルマザーに限らず、夫婦が揃っていても同じぐらいに辛いし大変だと思います。
夫がいるのに出張ばかりだとか、仕事で忙しくて育児を手伝ってもらえない、という妻の方がもしかしたら精神的には追い詰められているかもしれない、と思う時もあります。
ただ、そうは言っても夫からの経済的な支えがある場合は、ワンオペと言われるママさんたちには「時間」という贅沢が与えられているので、それはやはり私たちシングルマザーにとっては羨ましい限り、なんですよね。
この10年で私が一番欲しかったもの、新しい車でも家でも恋人でもなくて、それは間違いなく「時間」です。
ハンディキャップがある私?
(元)義理のお父さんから
「君は障がい者(=ハンデイキャップを持つ人)みたいなものだね」
と言われたことがありました。
この「handicapped」という言葉自体が「差別用語」だとして英語では最近あまり好ましくない言葉の一つとなっていた時に、モロにそう言われたんですね。
ずっと健康体だった私はそんなこと考えてみたこともなかったし、自分がそうだなんて思ったことはありません。
実際に障がいを持つ人は健常者の私には想像もつかないほどの不自由さや心や体の痛みがあるだろうと思いますし、それゆえ私は決してそうではないとわかっています。
が、その時にお父さんが言っていたことにはある意味納得してしまったので、ショックを受けました。
なるほど。
何不自由なく今まで生活できている、と思っていましたが、実際は確かにトイレにも満足に一人では行けない時もあったし、髪を切りに行きたいとか、お友達に会いたいなどと思ってもなぜか行けなかった時期が長く続きました。
シャワーだって入れないと諦めたことも多かったです。
州によって違いますが、アメリカでは多くの場合、13歳以下の子どもを一人家に置いて親が出かけることは法律で禁止されています。
だから、つい最近まで私は一人で友達に会うこともなかなかできませんでした。
行きたいのに行けない。
それって正にハンディがあるからなんだー!
そっかー。
私は誰かの助けがないと、日常生活が満足に送れない人なんだな。
お父さんの言う通りかも...
(余談になりますが、日本語でも「障害者」は平仮名入りで「障がい者」と書く傾向になってきているみたいですが、英語では随分と前から「physically challenged」と言われるようになっています。「身体的に挑まれている」という言い方の方が前向きですよね。
ただ、これらは健常者からの気遣いであり、体が思うように動かない人たちにとっては、こんなところで社会が変わってもなんの影響もないので、心遣いには感謝するけれども、正直そんなことはどうでもいい、と車椅子で生活をしている友人に言われたことがあります。)
ママは幸せになってはいけないの?
恋愛に関しても複雑なんですよ。
頭ではママだって幸せになっていい!と思っていても、実際には子どもが小さい時はなかなか時間がなくてそれどころではなかったし、子どもをデートに連れて行こうものなら相手の人から困ったように
「恋愛は二人でするものだ」
と言われたこともありました。
でもって子どもが思春期を迎え反抗期になってくると、子どもは親の言うなりにはならないし、嫌なことはしなくなります。
映画を観にいこう?
と誘っても
「何見るの?」
となり見たくないものは見に行かない、となりますからね。
相手との相性もあるし。
アメリカでは子連れ再婚なんて、今時ごく当たり前だし、再婚者が築くステップファミリーという家族の形態は新しいものでもなんでもありません。
「私だけ?どうして?」
と思うこともあり、隣も芝はみな青い状態になったりしますねー。
そういう数々の困難を乗り越えて、久しぶりにデートを楽しんでいた途中で、思いっきり転んで顔面複雑骨折したのが5年前です。
これって、どういうこと?と思いましたね。
本当に神様って意地悪だなと思いました。
自己否定から出る方法
楽観的に見えるアメリカ人でも75%以上の人たちはみんながネガティブ思考なんだそうですよ。
へぇー。
大体、ポジティブになろうね!なんて言ってる社会ほど、ポジティブじゃないからですよね?
なんて、めっちゃくちゃ落ちている時は、このネガティブな気分も受け取ってあげて、全てを邪魔している「子育て」というものが私にとってなんなのか、もう一度じっくりと考えてみるわけです。
ありきたりのことですが、周りに理解のある「大人」がいてくれると全然違いますからね。
バカヤロー!と叫んだこともあるし、子どもが使っていた竹刀を庭で振り回したこともあります。おかげで、肩を痛めましたけど。
一人でどうしようもなかった時などは、私の場合ですが、オフィスの人たちやご近所の人たち、そしてカウンセリングの先生方やその辺にいる人たちを捕まえては、ストレスを発散して喋りまくっていました。
最近は、そういうことも少なくなってきたし、怪我の後遺症からやっと立ち直ってきたな、と思ったらダーリンが現れたので本当にありがたい限りなのですが。
多分、多くの先輩ママ友パパ友が言っていたように
Life will be better.
(人生はよくなるから)
ということで、それを信じることが大切なんですね。
認識を変えること
それ以外に心掛けていることは、ストレスになっていることに対しての認識を変えることはとても有効です。
例えば涙が止まらない時には「悲しい」と思っている出来事を「嬉しい」ことだと思えるようにするのです。
これは多分私たちは無意識のレベルで既に実践していることだとは思いますが、彼と別れて「悲しい」ではなくて「よかった」と思ったら、気持ちが楽になるということですね。
長く病気で患っていた親が他界した時も「会えなくて寂しい」ではなくて「苦しみから抜けられて幸せ」だと思うこと。
今回の私の場合だは
「子育てにいつも邪魔される」
↓
「子育てが一番大切で立派な母親でいることが最優先」
であると再確認すること。
そしてそういう作業を立派にやっていると自分を認めること。
「仕事する時間が取れない」
↓
「したい仕事があってラッキー」
「もっと時間が取れるように工夫したらいい」
実際にはしっかりとできていることもあるので、今日やれた仕事とできなかったことをノートにリストアップします。
そして、できなかったことは、次の日にやれるように努力する、という作業をします。
具体的にできたこととできなかったことがしっかりとわかっていると、次に何をしたらいいのか、前に進める手がかりにもなってきますよ。
人間って、面白いのですが、どんなにストレスに感じていても、ほんのちょっとの前進があるだけで、すごい達成感を得ることができますから、達成したことを書き出すということは、とても効果的なことだったりします。
その達成リストの中には「シャワーを浴びる」とか「ゴミを捨てる」とかそういうのだっていいんです。自分なりのリストで人に見せるものではないのですから。
どんなに偉人だと言われた人の人生でも、毎日やれることはそんなことだと思います。
長女と仲直り
数日経って、長女とは仲直りしました。
長女と喧嘩していると、最近は次男も家にいますので、あーだこーだしっかりと介入してきます。ビッグブラザーとしての責任もあるのか、それがもう逆にうるさいって感じなんですね。
親は私なんだから、黙ってろ、と思いますが。
そうなると、私と次男は、子育てで喧嘩をしている夫婦のようになってきて、険悪な感じにどんどんなるんですよー。
もう最悪。
でもそこで気がつくのですが、子どものことが上手く行っていたら、私の人生は完璧なんだーってこと。
えぇ?
じゃあ、結局はやっぱり子どもなんだー。
つまり、そう思えるということは、いかに子どもたちに私が普段支えられているかということです。
この間、痛感しました。
ピコーン。
そっかー。
私は子どもたちに支えられているんだー。
でもって、そういう子どもたちを私もしっかりと支えてあげているんだ!
子どもと喧嘩をして人生最悪と感じる意味は、裏を返せば、そういうことですよね。
そーだ、そーだ!
そうに決まってる!!
そう思ったら、楽になりました。
ダーリンと喧嘩したら、人生最悪って思ってしまうのも
「ダーリンとのことがうまく行ってない」
からではなくて
「ダーリンと上手く行きたい」
からですよね。
だったら、その方法を探せばいい、という簡単な結論に行き着きます。
恋愛も子育ても一筋縄では行きませんが、本当に忍耐・忍耐・そしてまた忍耐というところなのでしょう。
そして、その中から見つけた解決策に従って実際に行動することが、私たちが幸せになれるただ一つの方法だと思っています。
どんなに小さいことでも、前に一歩進みましょう❤️