今日、作家の辻仁成さんのツイートに、息子さんから説教された、という記事がアップされていました。
息子を無事にピックアップしてパリに帰る道中、不意にぼくのこれからの人生について説教をされてしまう。それはずっと辻家的にはタブーなことだった。そこ? 今ここで? 父ちゃん、タジタジ、、、
— 辻仁成 (@TsujiHitonari) July 16, 2020
今日の日記です。https://t.co/BFnNZG30Qz
作家としての彼の本もミュージシャンとしての彼のことも全く知らないのだけれど、海外(パリ)で頑張ってるシングルファーザーで名前の漢字が一部同じであるということと、お料理が得意だと言うこととでどことなく親しみを感じてしまって、それ以来、厚かましくも一方的なパパ友というレベルでフォローさせてもらっています。
彼のレシピは、かなーり参考になるんですよ。
へぇ、同じ海外でもパリではこんな食材が手に入るんだー、なんて思ったりしながら。
すっごい上手。
素晴らしいの一言です。
私は彼より一回少ない2回ですが、離婚も経験していてその後は「ひとり」の時間が長かったので、彼が孤独であろうと言う気持ちもとっても理解できるんですよ。私が勝手にそう思ってるだけかも知れませんけどね。多分。
人間的悩みもなんだか同じような感じで、有名人でもそうでなくても結局は同じなんだなー、なんて思ったりして。
キッチンとかたまに出てくるお宅(と思われる)はかなーり素敵でやっぱり違うな、と思いますけどね。w
そういうのも目の保養になっています。パリだしねー。いいな❤️
で、彼の息子さんの一言は
期待し合える関係って僕は素敵なことだと思う
ということ。
えぇっ?
ドキッ!
彼の息子さんは、多分高校生ぐらいだと思うのですが、若者らしい真っ直ぐな言葉で、とっても新鮮でした。
大人はいろいろな経験から、期待を裏切られても自分が傷つかないように防御線を張るようになってしまっているんですよね。
期待する方も、される方も。
一口に期待と言っても同じ家族で子どもと夫婦とではの期待の種類や方法も違うだろうとは思います。
でも、両者とも、気をつけないといけないのは、そうやって期待しない・されないで生きていく癖がついて長い時間が経ってしまうと、多分ですが、それがいつの間にか、無関心とか、すれ違いみたいなことに変わってしまう場合があるのだと思います。
少なくとも近い存在の人に期待をしなくなってから、人生が違う方向へ行ってしまったように感じられる私の場合は、そうなのかな?と思ったりして。
きっと期待の向け方が間違っていたんだな、と思います。まあ、そういうのも、きっと二人の事情でそうなるべくして(それしか術がなく)そうなったのだと理解していますけど。
人生は一筋縄では行かないと思うのですが、初心に戻って考えると、辻さんの息子さんが言うように、期待するって素敵なことなんだな、と思えてきますよね。
そっかー。
いいのね?
期待しても?
考えてみたら、私だって期待されたいもの。
若い時に思い描いていた人生では決してないけれど、私はどんな時でも自分を信じていたし、期待していたんだから。
ダメだった時は「やっぱりね」とか「人生なんてこんなもん」と思う自分が確かにいるのだけれど、それでも諦めないで、まだまだ自分に期待し続けているのです。
私にも明るい未来が待っている、と思いたいし、家族にもそう思われたいですから。
女性は特に、私のように思っている人、多いと思います。
諦めかけていた人生だけど心のどこかで
「私の人生、こんなもんじゃない」
と本当は強く感じているのです。
女の意地?
今日は、そう言うことを確認できて良かったと思います。
辻さんの息子さんに感謝するべき。
「Merci beaucoup ❤️」
余計なお世話ですが、辻さんも、息子さんが言うように素敵なパートナーが早いところ見つかったらいいなと思っています。