いつまでも乙女なママのいばら道からバラ色の人生に

アメリカ在住・バツ2・子ども3人・どん底から浮かび上がって現在婚約中・世界一幸せです

幸せとは何だろう?

 

と、ふと考えることが今までは多かったのですが、ダーリンとお付き合いをするようになったら、気がついたらそんなことはどーでもよくなってます。

 

なぜか?

 

だって、幸せって何だろう?

 

なんて考えている前に私は十分に楽しくてすっごいラッキーだと思っていて、毎日の生活が充実しているからだと思うんですね。

 

幸せの定義を考えて自分がどうか当てはめて確認する作業なんて、必要がなくなってしまった、ということなんじゃないかな、と思ってます。

 

世間でいうところの幸せというものではないかもしれないけれど、ね。

 

ただ、ダーリンには幸せになってほしい、ととても強く思う自分がいます。

 

だってさ、彼の人生変えちゃった感がありますのでね。

 

生活の全てを変えてしまったのだからちょっと責任を感じているわけで、ジョーが

 

「今までより幸せになったよ❤️」

 

と言ってくれるのであれば私はとっても救われる、と自分でも思っているのですね、多分。

 

どうなのかな?

 

その辺がちょっと不安なのかも。

 

自分に自信もないのかしら?

 

申し訳ない。

 

だから喧嘩をすると、なんで私たちは再び巡り合ったのか?なんて思ってしまう時があります。

 

「糸」の歌の歌詞じゃないけど、本当になぜ巡り逢うのかわからないです、人との縁なんてね。

 

だーかーらー。

 

喧嘩なんてするべきじゃないと思います。

 

辛いことや苦しいことを一緒に乗り越えた男女と楽しいことをたくさん共に味わった男女とでは、どちらが深くつながってると思いますか?

 

普通に考えると当然支えてくれる相手ですよね。

 

都合のいい時や物事がなんでもいい状態の時だけに一緒にいる友達のことを「fair weather friends」と言ってあまり好ましくない人を指す場合が多いですが、だからと言ってあまりにもトラウマ的体験を共にしてしまうとかあまりにも長い間辛い状況が変わらない相手というのもやっぱり不健康な関係に陥ってしまいますよね。

 

よく考えると普通に楽しいことをたくさん一緒に味わって一緒に笑い合える男女の関係が一番いいに決まってます。

 

辛い時に支えてくれた、みたいな相手とは、一瞬絆は強まった感じはありますが、結局は長く続かないのかなと思ったりして。

 

人間って勝手ですよね。

 

でも人には心があるから暗くトラウマを共有する相手とは、嫌な感情をわかち合ってしまうことになっちゃうんですね、きっと。

 

感情はコントロールするのが難しいですしね。

 

人生の様々なステージでは、当然嫌なことも悲しいことも辛いこともたくさん経験するのですが、楽しいことをその間にどのぐらいわかち合えるかで、バランスを取っているような気もします。

 

つまり嫌なことを忘れることができるかです。

 

私たちはお互いにそれぞれ楽しいこともたくさんあったけど、それ以上に辛いことを十分に経験したから、これからは二人でできるだけたくさん楽しいことだけを経験したいです。

 

そしたら最強の関係になれそうな気がする。

 

と、私は思っているんですけどね。

 

楽しいことには多少はお金もかかるし、正直努力も必要ですが。

 

課題はまだ色々とあるけどなんとか頑張りたいと思ってます。

 

新婚なのに何を言ってる?と思われるかもしれませんが、この動画で言いたいことは人生にはそんなドラマチックのようなものなんて実は存在しないってこと。

 

毎日の小さい喜びや楽しいことが大きい幸せを作るのでしょうから。

 

ね?