いつまでも乙女なママのいばら道からバラ色の人生に

アメリカ在住・バツ2・子ども3人・どん底から浮かび上がって現在婚約中・世界一幸せです

ペットロスと父の日

 

実家で15年以上一緒に住んでいた犬のゴールディが亡くなりました。

 

母にとっては娘のようなもの。

 

というか、お母さんぐらいの年齢で、老犬なのに随分と頑張っていた次第です。

 

小さい頃のしつけから始まって綺麗好きの母にとっては随分とストレスのかかる犬みたいでしたが、一緒に住んでしまうともうすっかり家族の一員となっていて、最後の方では本当にいないと生きていけない、と言うこともよく言っていました。

 

今頃は天国で幸せに暮らしているね。

 

母からゴールディの最後の様子が書かれたメールが来たので、ここに追悼の意味で転送します。

 

今も乳母車にゴールディの写真を入れてお散歩しています。

 

遺骨はゴールディがいつも寝ていたベッドに置いていつもお水とお花を飾って上げています。

 

着ていたお兄ちゃまが買ってくれた赤い洋服も一緒に残してある。


ゴールディの様子が変になりはじめてから、ずっとそばでご飯上げたり、大好きだったサツマイモをふかして上げたりして、それを喜んで食べていたの・・・

 

でも段々、食欲が無くなってきて、お水だけになってきて、それでもお水だけは口元まで持って行ってあげて、少しずつでも飲ませていたの。

 

そのうちそれも出来なくなって、脱脂綿にお水を含ませて、口元を潤して上げて、ずーっと横たわっているゴールディの背中を撫でて上げていました。


最初は少し息がはぁはぁしていて少し苦しそうだった。

 

やがて、とっても安らかな息になって、ママも少しは安心したから、お風呂に入ってそれからお休みを言って、ママもゴールディのすぐそばにお布団を敷いて寝ました。


そして朝方、ここ数年、1度も吠えたことなかったのに、「わん!」と一声吠えたから、ママはすぐゴールディにかけ寄ってゴールディの体を優しく撫でて上げました。


ゴールディは見えない目でしっかりグランマを見ながら、静かに息を引きとりました。

 

その間、ものの数分だったと思う。


でもママはそのまま、ずーっとゴールディの体を撫でながら

 

ゴールディありがとう!

 

とつぶやき乍ら、朝を迎えました。


ゴールディもそのことは分かってると思います。

 

お別れができて良かった。


ゴールディの体がすっかり冷たくなるまで、グランマは何時間もゴールディと一緒にいました。


ゴールディ、有難う!!!

 

大好きだったよ。

 

 

こちらは父の日の様子です。

 

私がジョーと子連れ再再婚をしたことは自分にとっても大きな変化ですが、子どもたちにとっても新しい「家族」が増えたわけでそれはそれは人生においての大きいな変化でもあるわけです。

 

以前、まだ結婚する前ですが、ダーリンと喧嘩して「もう別れるから」みたいな話を長女にした時に

 

「えぇ?いまさら何を言ってるの?私にとってジョーはもう立派なステップダッドになってるのにマミーが別れたいからって私からせっかくできたステップダッドを奪うわけ?私たちのことももっと考えてよ!ジョーがいなくなったら困る!」

 

と言われました。

 

確かにそうですよね。

 

親の都合で知らない人が家族の枠に入ってきたわけで、以前、私のカウンセリングをしてくれていた人から言われたことがあります。

 

「ボーイフレンドや恋人は、婚約というしっかりとした関係ができるまでは子どもたちには紹介しない方がいいですよ。

 

子どもたちにとっても別れは辛いですから。既にお父さんとの別れを経験しているわけで、もうそれ以外の別れは子どもたちにとっても必要ないこと。

 

ボーイフレンドができたからとずっと一生一緒にいるわけでない間柄だったら、むやみやたらと子どもたちを巻き込むことはお勧めできません。」

 

と。

 

確かにその通りだなと思いました。

 

それでも将来をともにするかどうかはやはり子どもたちとの相性もあるし、大切な要因なので、大抵のシンママは恋人が出来たら紹介していますけどね。

 

まあ、それにしてもあまり入れ替わり立ち替わりで男が変わるママはやはり嫌だと思います。

 

私の場合は

 

「ボーイフレンドがいないのはマミーだけだから早く作って!」

 

と長女からは言われてましたけど。

 

まあそう言うのもバランスですよね。

 

まあそういうことに巻き込まれている子どもたちは大勢いるしそういうのもある意味そういう星の下に生まれた子どもと言うことである意味受け入れるべきでもありますが。

 

で、ジョーのことですが。

 

彼にとっては初めての父の日だったのですが、父になった思いはまだまだそう簡単には確立されないと思うのでこれから見守っていきたいと思っています。

 

なんちゃって父の日ですが、お父さん、ありがとう。

 

そして「本当のお父さん」もありがとう。

 

私にとっても微妙な父の日でした。